元高校教員で、教育ジャーナリストの朝比奈なをさんが『月刊高校教育』(学事出版)誌上で好評連載中の「高校教育のアキレス腱」を本サイトにも掲載します。

教育ライター=朝比奈なを

「そこまで」に首を傾げる

毎年、夏から晩秋頃は、各高校で3年生の進路実現のために先生方による文章指導が行われる時期だ。高校教員は正しい文章を書くスキルが必須の職業と言えよう。もちろん、文章を書く力を十分に備えている生徒もいるだろうが、筆者が接する高校生や大学生には書くことを苦手と感じている者が多い。

そんな彼らが書いた志望動機を読む機会もある。そこには「私は小中とそこまで勉強はしなかった」、「大学生活ではサークルが鉄板だと思うので」といった表現が散見される。また、文頭の「なので」や「ら抜き言葉」「さ入れ言葉」が当たり前のように使われているが、これらは既に正しい用法になったのだろうか。

高校生が志望先に提出する志望動機の文章は、高校で事前に必ず教員が確認し、誤った語や表現を正しいものに直すよう指導しているはずだ。先のような文章を見ると、厳しいようだが、先生たちの国語に関する感度や指導の熱意を疑いたくなる。

国語への関心は高まっているが

インターネットやSNSの普及、それに伴って拡大した新聞や書籍など従来型の活字文化への距離感により、日本語が急速に変質していると感じる人は多いだろう。今年9月、文化庁が2021年度に行った「国語に関する世論調査」の結果を発表した。16歳以上を対象に実施し、年代別の特徴や意識の変化にも触れた興味深い内容なので、その概要を少し見てみたい。

「国語に関心があるか」という質問に、「非常に関心がある」「ある程度関心がある」と回答した割合は全体で80%を超え、従来の調査結果よりも増加している。国語の中で関心がある点を尋ねる質問もある。全体では「日常の言葉遣いや話し方」が最多で79.1%、以下「敬語の使い方」が48.4%、「文字や表記の仕方あるいは文章の書き方」が38.4%と続いている。

この上位三つの回答の割合を若い世代で見てみよう。高校生に該当する16~ 19 歳の
回答では、1位「言葉遣い」が73.0%、2位「敬語」が47.0%、3位「文字や表記、文章の書き方」は29.0%である。

また、20代では「言葉遣い」77.8%、「敬語」63.6%、「文字や表記、文章の書き方」36.4%となっている。面白いのは20代の敬語に関する関心の高さだ。16~19歳に比べると16ポイント以上増加し、全年齢層でも最多の割合だった。増加の背景には、社会人となって自分とは異なる世代と接する機会が格段に多くなったことがあると考えられる。時代が変わっても働く場では立場の違いを意識した言葉遣いが求められていることが、急増する回答率から推測できる。

さらに、筆者が気になったのは次の点である。16~19歳の世代は国語全般にわたって関心の度合いが他世代よりも低く、なかでも文字や表記、文章の書き方への関心が全世代で最低となっている点だ。この世代にとって直接の関心事である就職試験や高等教育機関への入試だけでなく、高等教育の場ではレポートが書けることは学修のために欠かせない能力になる。また、高卒で就職する場合でも、職種によって求められる頻度と分量は異なるものの、報告書や提案書等を書かないで済む仕事はほとんどない。これらの必要性が、高校生世代にきちんと伝わっているのだろうか。

ほかにも、同調査では情報機器がもたらしている日本語への影響、さらに「おうち時間」や「人流」等コロナ禍の中で多用されるようになった新語の容認度等、まさに今の状況に即した質問も行われている。高校生に言葉や文章を指導する立場にある先生方にも、現在の日本人が国語に関して持っている意識や問題点を示すものとして、ぜひ目を通してほしい調査結果である。

「今ある自分」を知る難しさ

今年度から実施の高校新学習指導要領では、すべての教科における学習の基盤として言語能力が非常に重視され、中でも国語科への期待は大きい。月刊高校教育2018年6月号でも特集が組まれていたが、国語科については横浜国立大学名誉教授の高木展郎氏が要点を記されていた。この中で同氏は、「生徒が自分自身で学びに向かい『今ある自分』を、一人一人の生徒が自覚すること」が国語科の「主体的」な学びには重要と述べ、続けて、「今ある自分」を知るためには、生徒一人一人の「分からない」「知らない」「できていない」を大切にし、その内容を対象化することが大切と説いている。

筆者も、主体的な学びのスタートのためには、「分からない」「できない」等の把握が重要と考えている。そこで例年、大学の最初の授業で、文章を書く際に何を苦手と感じるかを、学生に自由記述で書かせている。すると「何をどう書くか分からない」「自分の意見が考えられない」「書いていると右往左往する感じ」「漢字が無理」等々、様々な回答が寄せられる。

ただ、ここで注意すべきは、学生の回答は言葉通り受け取ってはならず、必ずしも自らの書く力の実態を反映していない点だ。例えば、「語彙力がない」と書いた学生は、実際には小学校以来学んでいるはずの基本的知識が欠けていたりするのだ。

「今ある自分」を知ることは、国語だけでなくすべての学びにとっての出発点となる。その把握のためには、正しい知識とスキルを持った人、できれば教員が生徒の傍らにいることが絶対に必要である。

 

朝比奈なを

東京都出身。教育ジャーナリスト。筑波大学大学院教育研究科修了。公立高校の地歴・公民科教諭として20年間勤務。早期退職後、大学非常勤講師、公立教育センターでの教育相談、高校生・保護者対象の講演活動に従事。著書に『置き去りにされた高校生たち』(学事出版)、『ルポ教育困難校』(朝日新書)などがある