入学試験はなく、学費は国立大の三分の一以下と圧倒的に安い放送大学だが、近年「学びのセーフティーネット」としての役割が急速に高まっているという。高校卒業後、そのまま放送大学に入学する学生もいる。彼らの入学動機や学生生活について、現役学生・卒業生に話を聞いた。
編集部=澤田晃宏
これなら、勉強を続けられる――
第一希望は、大原簿記情報ビジネス医療福祉専門学校だった。山形県飯豊町出身の後藤愛実さん(19歳)は、2年制の医療事務コースに入り、そこから就職を目指そうと考えた。
手元には、高校在学中のアルバイトで貯めた30万円があるが、入学手続き時に、入学金と1年次の前期納入分を合わせた約60万円が必要だ。
後藤さんは父子家庭に育った。父親は地元のガソリンスタンドに勤務している。経済的に余裕はないとは感じていたが、足りない分は出してくれると期待していた。父親に相談した。
「お金を出すのは難しい」
すでに、高校卒業までは3か月を切っていた。早く進路を決めなければと焦り、学校に向かった。
後藤さんは人間関係のいさかいから、高校3年時に山形県立霞城学園高校(通信課程)に編入。同校はJR山形駅前の官民複合ビル「霞城セントラル」の中にある。進路のことで頭がいっぱいの後藤さんは、エレベータの行き先ボタンを押し忘れた。降りたことのないフロアで扉が開き、我に戻った。そこが偶然にも、放送大学の山形学習センターだった。
放送大学のことは詳しくは知らなかったが、自身が通信課程の高校に通っていることもあり、話を聞いてみることにした。
入学金は2万4千円。卒業に必要な124単位を修得した場合の授業料を合わせても、学費は70万6千円。4月入学の出願期間は3月中旬まで。これなら、勉強を続けられる――。
学費の安さだけに魅力を感じたわけではない。後藤さんは、
「第一希望は大原専門学校でしたが、それは自宅から通える範囲にある唯一の学校で、就職に強いと思ったからです。本当は勉強を続けたかった。放送大学に自分が勉強したい心理学のコースがあると知り、もうここしかないと思いました」
2020年3月、後藤さんは高校を卒業し、放送大学に入学した。

高卒後、ストレートで放送大に入学した後藤さん=本人提供
若者入学者が5年で2割増。特設サイトをオープン
放送大学は2021年3月、特設サイト「大学生をあきらめない」を開設。後藤さんのように「最後の学びの砦」として、入学する若者が増えているからだ。オンラインのオープンキャンパスにも力を入れている。
同大は文部科学省、総務省が所管する通信制大学として83年に開学。従来は生涯学習のための公開大学、教員免許更新や学芸員などの特定の資格取得に関わる教育機関としての役割が強く、学生は中高年が中心だった。
2021年1学期時点でも60代以上の学生が全体の約27%、30代~50代が約56%と大半を占めるが、10代、20代の若者がここ5年で2割ほど増加している。2020年4月に始まった修学支援新制度を利用した入学者(2021年4月)も、13人いるという。

同大は教養学部のみの単科大学だが、学びたい内容に応じて6つのコースを準備している。10代~20代の学生に人気が高いのは、認定心理士などの資格が目指せる「心理と教育コース」と、最近人気が高まっているのが「情報コース」だという。
岩永雅也学長が話す
「情報とは何かといった概念的な授業ばかりではなく、Javaプログラミングの基礎や映像コンテンツの制作技術といった実用的な専門科目も受講することができます」
入学資格は「学びたい」という気持ち
岡山県美作市出身の春名佑香さん(19歳)は今春、放送大学に入学した。高校時代は、放送大学の名前すら知らなかった。
春名さんは岡山県下の私立中高一貫校に通っていた。高校1年生の時、好きだった担任の先生が「東大生を出したい」と話した。その期待に応えようと、春名さんは必死に勉強した。
ただ、受験が近づくにつれ、プレッシャーは高まるばかり。高校3年生になると、体が重く、朝も起きれなくなった。学校を1か月間休み、メンタルクリニックに通った。特定の診断名を告げられたわけでないが、鬱状態であることは明確だった。
勉強には手がつかない。大学入試センター試験に参加したが、途中で怖くなり退席した。面接のみの国立大学の後期試験を受験したが、不合格だった。
浪人することに決めた。自身も親も、大学に進学にすることを希望していた。
春名さんは、
「これまで勉強を頑張ってきたのに、それを無駄にしたくはない。妹もいるし、親に経済的負担をかけたくないから、国立大学を目指したい」
ただ、机に向かおうとしても、体が拒絶する。放送大学を知ったのは、浪人中の11月だった。
「高校時代の友人が、受験をしなくても入れる大学があると教えてくれたんです」
放送大学に入学試験はない。入学資格は「学びたい」という気持ち。入学後に休学をしたとしても、在籍料はなく、最長10年間在籍できる。自分のペースで学習できるから、負担をかけずに学び続けられると思った。
ただ、通信制大学には、一定のスクーリングがあるものの、基本は自分で計画をたてて、勉強を続ける必要がある。そのため、モチベーションの維持が難しく、一般的な大学に比べ、卒業率が低い。放送大学は若年層の入学者が増えているとは言え、大半が中高年の学生で、支えあう同世代の友人作りも難しい。
だが、春名さんは「そんな心配はない」と話す。
「ツイッターなどのSNSで、全国の10代、20代の放送大学生との交流があり、声をかけあって勉強しています。SNS上で仲良くなって、実際に会ったり、なかにはカップルが生まれたりすることもあります。コロナが収束したら、みんなで会おうと話しています」
特別支援学校から放送大に
「進学」という選択肢はなかった。生まれながら、右半身まひの身体障がいを持つ大阪府東大阪市出身の多田和恵さん(30歳)は、高校時代をそう振り返る。
特別支援学校の高等教育機関への進学率は2%程度。進学に関する指導はなく、パソコンを使った仕事に就きたいと希望した多田さんは高校卒業後、職業訓練校を経て、障がい者雇用を促進する大手保険会社の特例子会社に入社した。現在も同社で顧客管理などを担当している。

放送大学に再入学し、新たな分野の学習を続ける多田さん
社内には、聴覚障がいや発達障がいなど、様々なハンデを背尾った仲間が働く。
「そうした環境で働くなかで、福祉に関心を持つようになりました。同期の仲間が放送大学に通っていて、資料を取り寄せ、自分も行こうと考えました」
放送大学の授業は、印刷教材と授業番組の視聴を進める「放送授業」が中心だが、多田さんは自宅と職場間の通勤時間も使って、4年半で卒業に必要な単位を揃えた。卒業後も放送大学に再入学し、勉強を続けている。
「勉強をすることで、社会に対する見方も広がり、とても楽しいです。自分の経験や学んだ知識を活かし、手話通訳士試験を受けるという新しい目標も生まれました」
就職のサポートがない
今回本誌では、10代、20代の放送大学生9人を取材した。学びのセーフティーネットとしての役割を担っていることは確かだが、取材した誰もが口を揃えたのが就職への不安だった。
高い就職力を誇る大学では、就活時のメイクの仕方まで指導する大学もあるが、放送大学では就職のサポートがない。
昨年、新卒大学生として就職活動をした東海地方の元放送大学生(24歳)は、他大生同様、リクナビなどの就職サイトに登録し、10社ほどエントリーしたが、すべて書類審査で落ちた。
「はなから難しいだとうとは思い、積極的にエントリーしなかったという理由もありますが、1社も面接にすらたどり着かず、ショックを受けました」
男性は自衛隊に入隊。その面接のときも、面接官は放送大学を知らなかった。男性は2年9か月の任期制自衛官として入隊し、任期満了後に再度、転職活動をしようと考えている。
ただ、放送大学の評価が低いわけでない。兵庫県尼崎市出身の浦戸洋祐さん(27歳)は高卒後、働きながら6年かけて放送大を卒業した。卒業当時は物流会会社に勤務していたが、大卒になると基本給が1万5千円上がった。大卒になったことで、転職の選択肢が一気に増えた。
浦戸さんはかねてから憧れていたエンジニアを目指し、転職活動を始め、2021年4月に派遣会社に転職した。その派遣会社の取引先に、テクノロジー関係の会社もたくさんあったからだ。現在はロボット製作の研究、開発業務に携わっている。
浦戸さんはこう話す。
「面接官は放送大学を知っていて、働きながら自分で計画を立てて卒業をして、よく頑張ったねと評価してもらいました」

働きながら6年かけて放送大を卒業した浦戸さん
そして、こう付け加えた。
「授業に参加しただけで単位が取得できるような大学とは違い、放送大学はきちんと理解しなければ単位はとれません。企業の人事担当者に放送大学の理解が深まれば、就職や転職も苦労しなくなると思います」
※本記事は「高卒進路」2022年秋号の掲載記事です